広蔵市場を歩いている。 お腹がすいたときに、フラフラと来る場所だ。
何が食べたいかと言われれば、頭がショートしてしまうほど、選択肢がある広蔵・・・。

見ているだけでも、お腹いっはいになるほど圧倒される、「食・食・食」 この付近でルンペンになれば、一生、難なく生きていける感じだ。 演歌だな・・・ここは。 染みるぜ、トロットのベースギターが心に響き、大韓臭が鼻の奥の蝶形骨洞を砕こうとする。

オバサンが、私に向かって「チョッパ
ル、チョッパ
ル」と言っている。 「チョッパリ??俺の事か??」と言うと、「いやいや、と手を振りながら笑っている。」 豚足を食べて行けと言っているのだ。

ユッケばかりの通りがある。 MBCに取材されましたと書いてあるな・・・。 最近の韓国のテレビ局って、食に対して結構いい企画やってるのよ・・・。 例えば「悪どい食堂」を見つけて、隠しカメラとかゴミあさり等を駆使し、店長をガチで追求したりする企画番組。 韓国では、お客が食べ残したものを再利用したりする事ってよくある話でしょ。(韓流ファンの人が渡韓をやめるような事を書くなよsuuは・・・)
もっと書こうか。(読みたくない方は、今回はスキップしましょう)
僕の韓国人の友達だけど、キムチを食べない奴がいる。 そいつは店がキムチを使い回しした事実を知ってから、家でも一切キムチを食べなくなってしまった。
そういう奴だっているんだ。
当然だが鍾路派は、それらをひっくるめて韓国を愛している。 そんな事で嫌になるくらいなら、行かなきゃいい事だ。 幻想の韓国を愛しているなら、テレビだけ見てろよ。(誰に言ってるのよ・・・)
店によっては、狭すぎて厨房が外にしかないところや、客から丸見えの食堂もある。 こういうところは絶対に不正が出来ないばかりか、調理の所作さえ看板になっている。

これは、手づかみして食べたいほどの広告だ・・・。 こういう実演というものは本当に美しい。 最近、店の前に大きなディスプレイを出し、動く看板を出している店がチラホラ出てきた。 テレビCMのようによく編集されており、一度に多くの魅力を受け取ることが出来る。
しかし、広告屋の僕に言わせると、店側が見せたいものしか見ずに入っていく事・・・それにどれだけのリスクが潜んでいるか・・・という問題をいつも考えるのだ。
僕はそれらを考えるたびに、いつも「韓流」というものが頭にチラつきイライラする。 韓流という国策はひとつの広告手法である。
韓国は、韓流によって「見せたい韓国」を見せ続けている。 見せたくない韓国は外には出さず、隠れた厨房のように、何が起きているか分からない。 別にそれをどうこう言うわけではない。 しかし、日本における韓流の核となっている消費社会に生きてきた日本人・・・その多くが、何も疑わずに「韓国は素晴らしい」と口を揃えている現状だけには、一言言いたくなるのだ。
清濁併せ呑んでのことか??
大抵、今、韓流を支えている世代の多くは、闇を受け入れることが出来ない人々だと思っている。 広告に対するクレーマーが多いのもこの世代なのだ。
韓国は韓流により、日本に韓国文化の石垣を作った気分になっているだろう。 しかし、弱い地盤に建物を建てたようなものだ。 昔から韓国が好きだった人々は、韓国の闇を知り、それらを越えて愛してきた。 つまり、韓国を何度も歩くことにより、知識と感性のバランスが上手くとれてくるのだ。 韓流はその道を経ていない故、韓国が少しでもこの層を裏切れば、強烈なクレームの矢が飛んでくることを覚悟しておかなければならない。(わかっとるか??韓国よ!!)
最初から最後まで、金によって汚された韓流・・・。 財の魔力に毒された韓国と、財力が全てだと信じて走ってきた日本のジェネレーションが響きあっただけの「現象」だ。 僕らが望んでいる、日本人と韓国人の感性を振るわせあう事とは程遠いのだ。
でも僕は信じている。 いつか僕らの世代が、知性を超えて、韓国の感性を感じ取れる未来を。

うっ・・・美味い!! ユッケどんぶり!!! この新鮮な肉と、タレと梨の千切りを奥歯で噛んだ時の絶妙な香りがもう・・・ああ、最高だ。
広蔵市場には沢山の老人が座って話をしている。 おばあさんに、「蟹の写真をとっていい??」と聞くと、「蟹なんか写してどうするんだい!!」と言いながら、ニコニコしている。 ひとりのおばあさんが「お腹空いているのか??」と聞く。 「いいや、さっき食べてきたばかりだよ、蟹は高いから写真に撮るだけだ」というと「かわいいねぇ」と言いながら、みんなお上品にファルセットで笑っている。
お年寄りの笑い方って言うのは、日本人も韓国人もかわらない・・・。
僕はこれが何故だかよく分かる。 きっと「日帝時代に流行った笑い方」なのだ。 世界を旅しながら色んな奴らと触れ合ってきたが、最近、若者の笑い方に国境がなくなってきたような気がする。 北朝鮮人以外、みんなどこかアメリカっぽい笑い方なのだ・・・。 若い日本人の笑い方だってそうだろう・・・随分アメリカンな笑い方をしている。
笑い方や泣き方というのは、何かの文化に縛られれば縛られるほど、特徴が出てくるものなのだ。

おばあさんと暫く話していると、遂に、日本語で日帝時代の話をはじめた。 「日本人は、ビシッと綺麗な軍服を着て列を作って歩いていた。 一番鮮明に覚えているのは、みんなが腰に刀を提げていた事だよ。 それを私はじっと見ていた・・・」
鍾路を指差しながら話しているのだ。 かつて、朝鮮の王が歩いた鍾路を日本の軍隊が歩いたその時代を昨日の様に語っている。
日本刀と鍾路・・・。 この言葉の響きがやるせないのだ・・・。