伝統を守る

 

僕は、日本の伝統を守るために必死なんですよ。

鍾路派

優美館はまだ壊されていない。 無事でよかった。 朝鮮の精神を語る数多くの建物が壊される中、ここは残っている。 




随分痛んでいるな・・・。 ソウルの厳しい風雪に耐えて、よく頑張っている。 鍾路には、消してはならない愛しいものが多すぎる。



今も「朝鮮中央日報」の社屋が残っている。 東亜日報・朝鮮日報・朝鮮中央日報といえば、日帝時代に活躍した3大紙だ。 この朝鮮中央日報は、現在の中央日報とは全く関係なく、完全に消えてなくなった新聞社だ。 

この新聞社といえば、有名な話がある。

日帝時代だった1936年ベルリンオリンピックで、朝鮮人孫基禎が男子マラソンで金メダルを獲得した。 勿論、表彰時には君が代が流れ、彼の胸には大きな日の丸がついていた。 朝鮮中央日報は、この報道でユニフォームの日の丸を消し、写真を改竄して記事を掲載することを思いついた。



当時の朝鮮中央日報は刷りが甘く、あまり品質が良くなかった為、総督府の検閲を簡単にスルーしてしまった・・・。(その後、東亜日報が同じ事をして総督府にバレた) それが原因で東亜日報と同時に無期限停刊・・・。 その後、経営困難にて廃刊・・・。 気骨ある鍾路の新聞社だった・・・。



仁寺洞のカフェでずっとこの国の事を考えている・・・。 この国は今も独立運動をやっているよな・・・。 国家ブランディングにしても、竹島にしても…何にしても、結局は「この国が現在も常に独立運動をしているんだ」という考えに往きつく。 日本人が生きていくために大切なことと、韓国人が生きていくために大切なことは違うのだ。 それなのに、今のやり方で本当に韓国が世界から尊重されるだろうか・・・という心配が僕の心の中に、津波の様に押し寄せる。




すっかり夜になってしまった・・・。 頭を掻きながら、新幹会の石碑の前にじっと立っている。

やはり日式韓流とうものは、韓流ではないのだ。 韓流というのは、言うまでもなく韓国のプロパガンダである。 だから"満映"のように、その目的が視聴者とコミュニケーションを始めてこそ韓流なのだ。

韓国で物凄い視聴率を誇る「反日ドラマ」を日本で放送しないのは何故なのか。 そしてそれがモンゴルや北朝鮮、中国等で放送され、恐ろしい視聴率を得ていることを日本人は知らない。 要するに、我々日本人は、この国がやりたいこと、言いたいことが分からないままなのだ。

明治以降、日本には韓国を心から理解できる「対馬藩」的な精神が全くない。 韓国という国は、日本にとって一体何なのか・・・という事を説明できる人間、もしくはメディアが国内に存在しないのだ。 

だから、何年経っても我が国は韓国に対して「潰す」か「褒め殺す」かの二極の対応しか持たない。 こんなに情けない現状の中で何も考えず、何も意識せずに生かされているのだ。 そして最近では韓国に対する日本人の品格も死んでしまった。

寂しいことに、現在も我が国と韓国の繋がりは「金だけ」になってしまっている。

春香伝の中にも出てくるだろう、「かりそめにも白酒は人の顔を赤くさせ、黄金は人の心を黒くする」という言葉が・・・。 何故我が国の人々は、ここまで苦しんでいる兄弟に対し、心で向い合う事が出来ないのか・・・。 それとも、心で向かい合われたら困る人々でもいるのであろうか・・・。

私は親韓でも、嫌韓でもなく知韓でもない、仁韓派の「鍾路派」でありたい。 

全てを弱いもののせいにして、罪のない人を殺し続け、搾取を続ける悪党の所業を冷静に見つめながら生きていかなければならない。 ドイツの街角に立ち、思ったことかある・・・「敗戦国に生まれてよかった」と。 そして韓国に出会っていたからこそ、その心が深くなっていった。 

しかしそれらを教えてくれた韓国の魂は、想像力に乏しく、感性が低く、お金が大好きな戦後の日本人によって埋没させられてしまった・・・。

これからの日本の若い方々には、どこまでも美しい韓国の本質を探求する旅に出て欲しい。 韓国にガンガン行くのが一番だ。 そして、掘って掘って掘りまくるくらいで丁度いいだろう。 欲をいえば、1人でもいいから韓国人の友人を作り、沢山コミュニケションした方がいい。 とにかくメディアを介して韓国と接しては駄目なのだ。




良質なメディアは死んだ。




何故朝鮮半島が南北が分断されているのかを自分の頭で考えてみよう。 自分の頭で・・・。



ポッサム屋だ・・・。 鍾路といえば、ポッサムだ・・・。




うん・・・凄く美味い。 本当に全速力で走って清渓川にダイヴしたいほど美味いな・・・。



もう30分くらい同じ場所から動けない・・・。 鍾路の風に吹かれながら、スッピョギョの上で煙草を吸い、清渓川と夜景を眺めている。

ひとりでも多くの日本人が、この国で友人を作り、この国に平和が訪れるように祈って欲しい。 そして早く南北が統一できるように声を上げて欲しい。 外部の人間が朝鮮半島の有事問題に首を突っ込む事は絶対に許されない。 朝鮮戦争から60年経った今、朝鮮民族が流した血の涙、そしてその理由を分かって欲しい。 

日本人なら、日本人だったら朝鮮半島の無血革命を祈るべきだろう。 

靖国の祈りと共に・・・。




大韓紀行 鍾路派 終わり


これまで読んでくださった皆様、本当に有難うございました。

近くて遠すぎる国

広蔵を抜けて、清渓川沿いを歩いている。 一段下に降りて、清渓川のほとりを歩こうか・・・。 

カツカツカツ・・・ホロッホー カツカツカツカツ・・・

何の音だ?? 凄い音だ・・・。 

あっ!! ハトが、返却のために軒先に置かれた「宅配」の残飯をガツガツ食べているのだ・・・。



よほどお腹が空いているのだろう。 一心不乱だ。  しかも顔がコチュジャンまみれになっており、鬼の形相なのだ・・・。



ハングリーだな・・・。

この姿を見ながら、一昔前の韓国人たちを思い出す。 一見、武骨でハングリー丸出しだったが、国家保安法を避けながら行間を上手く使い、「恨」を捨て身で表現していた。 それにより芸術表現力が宇宙的な次元で爆発していたのだ・・・。

今、日本で起こっている「韓流」というものには、韓国人の本当の姿、そして精神世界が殆ど表れていない。 いまやメディアを媒介して韓国の精神世界を垣間見るためには、韓国の絵画や、昔の映画しかなくなってしまったのではないだろうか・・・と思うほどだ。

その昔、林権沢監督や兪賢穆監督が韓国人の精神世界を描いていたのは、韓国人の「心の為」だった。 日本人が「義理」や 「人情」に泣くように、韓国人たちは恨に泣くのだ。 かつての韓国ドラマや映画は心の奥深くに染み込む「恨」が惜しげもなく練りこまれた作品ばかりだった。 しかし最近では、海外での興行を強く意識している為、韓国人の奥深さというものが全くと言っていいほど表現されていない。

韓国と日本は「近くて遠い国」と言われてきた。 そして、最近韓国を知った日本人達が「韓国と日本は近くて近い国」になってきたと口を揃えている。 

僕にいわせれば韓国人というものが、ここ10年で、随分分かりにくくなっている。 つまり、韓国は日本から更に遠ざかってしまったと認識しているのだ。 そう、「近くて遠すぎる国」になってしまった。 



今は美しく流れる清渓川を眺めている・・・。 この川を見ていると、どうしても韓国の未来を考えてしまう。 清渓川は元来、自然河川であり、李朝時代には水路として整備された重要な川だった。 しかし戦後にはドブ川化しており、みすぼらしさのシンボルになっていた・・・。 そして1960年代には、韓国の高度経済成長を支えた「清渓高架道路」が建設され、この川は臭いものに蓋をされるように、高架の下に潰されてしまっていた。 

そして最近、高架道路が老朽化し、倒壊の恐れが出てきた為、清渓川が美しい姿で復活した。

韓国政府は政治的に、惜しげもなく過去を捨てながら、美しいものを作り、これが韓国のあるべき姿だと言っている。 失われたピマッコルもそうであり、韓流もまた同じことだ。 全てをシンプルな美しさに置き換え、「これが韓国だ」と言いながら、未来へ向かっている。

そんな中、外圧により苦しみ続けた韓国特有の苦しみ、そして国民による遂げられない心の叫びは今、小さく押し込められ続けている・・・。 僕は韓国の「恨」がどれだけ美しいかを、日本人が理解できた時、日本と韓国に恒久平和の道が開くと思っていた。 


しかし、全ては韓流がムチャクチャにしてしまったのだ。 


逆に言えば、こういう手を使わなければ、誰も韓国人の精神に触れようとしなかったという部分もある。 近隣諸国が韓国の叫びに対して、それほどまでに無関心だったということだろう。 

しかし何故、戦敗国の我が国が戦後、この国の気持ちを汲むことが出来なかったのか・・・悔やまれてならないのはその部分だ。 我々日本人が、日本人として生きていないから、こういう事になったとしか言いようがない。



最近、韓国人たちが表立って恨を解くのを辞めてしまったのは、近隣国の韓国に対する無関心という傲慢さに堪忍袋の緒が切れたとしか言いようがない・・・。

それにより、直球しか投げなかった韓国が変化球を投げ始めたのだ。 その代表が「韓国起源説」だろう。 これらを捏造する政治的作戦は、諸外国に対する国威発揚と近隣国に対し歴史への関心を促す意図があるのだろう。 そして同時に美しい韓国を宣伝する韓流をワンセットにしている。 これが韓国の考える国家ブランディングであり、当面の目的は販促と興行だろうが、究極の目的は恒久的に民族の「土地」を守るという大きなものであると僕は推測している。


しかし僕は、このブランディングが、決して「コミュニケーション上手」だとは思えないのだ。


両国の心をリンクさせるという事は、ちゃんとした「絆」をつくるという事だ。 絆を作る為にはどうすればいいのか、それは両国の国民がしっかりと互いの「本質」を知り、祖国への健全な愛国心の中、相手の愛国心を尊重することだ。 愛国心を意識することなんて出来ないといわれればソレまでだが、それが出来ないと以下の図式のままなのだ。

赤い線は、何かの力によって、絶縁されている。 僕は赤い線を乗り越えるのは愛国心だと思うのだ。



「愛国心とは何か」という疑問が頭に浮かぶうちは、赤い線の魔力にヤられている証拠だ。 簡単なことだが、先人たちがこの国を守り抜こうとしてきた心・・・それにリンクしようとする心から始まるのが「愛国心」だ。



交差点に戻ると、哨戒艦「天安」の“46勇士”の写真が張り出されている。 彼らに最後の別れを告げる合同告別式が29日に行われたばかりだ。 

こういう垂れ幕をみること自体、日本人には遠い世界の話になっている。 二本の足で祖国に立ち、この国の土地を守るという意識が根底にあってこそ、この国の深い悲しみ、そしてこの国が何を言いたくて何をやりたいかを理解することが出来るのだろう。 そして、我々の間に横たわる「赤い線」の正体も、やがて理解できるようになるのだ・・・。


次回は最終回です。

清と濁

広蔵市場を歩いている。 お腹がすいたときに、フラフラと来る場所だ。

何が食べたいかと言われれば、頭がショートしてしまうほど、選択肢がある広蔵・・・。



見ているだけでも、お腹いっはいになるほど圧倒される、「食・食・食」 この付近でルンペンになれば、一生、難なく生きていける感じだ。 演歌だな・・・ここは。 染みるぜ、トロットのベースギターが心に響き、大韓臭が鼻の奥の蝶形骨洞を砕こうとする。



オバサンが、私に向かって「チョッパ、チョッパ」と言っている。 「チョッパリ??俺の事か??」と言うと、「いやいや、と手を振りながら笑っている。」 豚足を食べて行けと言っているのだ。



ユッケばかりの通りがある。 MBCに取材されましたと書いてあるな・・・。 最近の韓国のテレビ局って、食に対して結構いい企画やってるのよ・・・。 例えば「悪どい食堂」を見つけて、隠しカメラとかゴミあさり等を駆使し、店長をガチで追求したりする企画番組。 韓国では、お客が食べ残したものを再利用したりする事ってよくある話でしょ。(韓流ファンの人が渡韓をやめるような事を書くなよsuuは・・・) 

もっと書こうか。(読みたくない方は、今回はスキップしましょう) 

僕の韓国人の友達だけど、キムチを食べない奴がいる。 そいつは店がキムチを使い回しした事実を知ってから、家でも一切キムチを食べなくなってしまった。 


そういう奴だっているんだ。


当然だが鍾路派は、それらをひっくるめて韓国を愛している。 そんな事で嫌になるくらいなら、行かなきゃいい事だ。 幻想の韓国を愛しているなら、テレビだけ見てろよ。(誰に言ってるのよ・・・)

店によっては、狭すぎて厨房が外にしかないところや、客から丸見えの食堂もある。 こういうところは絶対に不正が出来ないばかりか、調理の所作さえ看板になっている。 



これは、手づかみして食べたいほどの広告だ・・・。 こういう実演というものは本当に美しい。 最近、店の前に大きなディスプレイを出し、動く看板を出している店がチラホラ出てきた。 テレビCMのようによく編集されており、一度に多くの魅力を受け取ることが出来る。

しかし、広告屋の僕に言わせると、店側が見せたいものしか見ずに入っていく事・・・それにどれだけのリスクが潜んでいるか・・・という問題をいつも考えるのだ。 


僕はそれらを考えるたびに、いつも「韓流」というものが頭にチラつきイライラする。 韓流という国策はひとつの広告手法である。


韓国は、韓流によって「見せたい韓国」を見せ続けている。 見せたくない韓国は外には出さず、隠れた厨房のように、何が起きているか分からない。 別にそれをどうこう言うわけではない。 しかし、日本における韓流の核となっている消費社会に生きてきた日本人・・・その多くが、何も疑わずに「韓国は素晴らしい」と口を揃えている現状だけには、一言言いたくなるのだ。


清濁併せ呑んでのことか??


大抵、今、韓流を支えている世代の多くは、闇を受け入れることが出来ない人々だと思っている。 広告に対するクレーマーが多いのもこの世代なのだ。 

韓国は韓流により、日本に韓国文化の石垣を作った気分になっているだろう。 しかし、弱い地盤に建物を建てたようなものだ。 昔から韓国が好きだった人々は、韓国の闇を知り、それらを越えて愛してきた。 つまり、韓国を何度も歩くことにより、知識と感性のバランスが上手くとれてくるのだ。 韓流はその道を経ていない故、韓国が少しでもこの層を裏切れば、強烈なクレームの矢が飛んでくることを覚悟しておかなければならない。(わかっとるか??韓国よ!!)

最初から最後まで、金によって汚された韓流・・・。 財の魔力に毒された韓国と、財力が全てだと信じて走ってきた日本のジェネレーションが響きあっただけの「現象」だ。 僕らが望んでいる、日本人と韓国人の感性を振るわせあう事とは程遠いのだ。

でも僕は信じている。 いつか僕らの世代が、知性を超えて、韓国の感性を感じ取れる未来を。



うっ・・・美味い!! ユッケどんぶり!!! この新鮮な肉と、タレと梨の千切りを奥歯で噛んだ時の絶妙な香りがもう・・・ああ、最高だ。

広蔵市場には沢山の老人が座って話をしている。 おばあさんに、「蟹の写真をとっていい??」と聞くと、「蟹なんか写してどうするんだい!!」と言いながら、ニコニコしている。 ひとりのおばあさんが「お腹空いているのか??」と聞く。 「いいや、さっき食べてきたばかりだよ、蟹は高いから写真に撮るだけだ」というと「かわいいねぇ」と言いながら、みんなお上品にファルセットで笑っている。


お年寄りの笑い方って言うのは、日本人も韓国人もかわらない・・・。 


僕はこれが何故だかよく分かる。 きっと「日帝時代に流行った笑い方」なのだ。 世界を旅しながら色んな奴らと触れ合ってきたが、最近、若者の笑い方に国境がなくなってきたような気がする。 北朝鮮人以外、みんなどこかアメリカっぽい笑い方なのだ・・・。 若い日本人の笑い方だってそうだろう・・・随分アメリカンな笑い方をしている。 

笑い方や泣き方というのは、何かの文化に縛られれば縛られるほど、特徴が出てくるものなのだ。



おばあさんと暫く話していると、遂に、日本語で日帝時代の話をはじめた。 「日本人は、ビシッと綺麗な軍服を着て列を作って歩いていた。 一番鮮明に覚えているのは、みんなが腰に刀を提げていた事だよ。 それを私はじっと見ていた・・・」

鍾路を指差しながら話しているのだ。 かつて、朝鮮の王が歩いた鍾路を日本の軍隊が歩いたその時代を昨日の様に語っている。 

日本刀と鍾路・・・。 この言葉の響きがやるせないのだ・・・。

 同じカードかと思った。




何かに似ているとずっと思っていたんだけど、やっと分かった。
スペル星人だった!!

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