KARAが僕の予想を破ってリアルに日本の若者に愛されてしまった理由が解けた。
今まで「チョンはニンニク臭い」とか言いながら、堂々と人種差別し放題だった排他的な大人たちが「第一次韓流」という子供騙しな広告手法で「コロっ」と手のひらを反し、アヘン中毒のようにハァハァしている。
それとは違い、若い世代は韓国に対し、そして韓流に対し、冷静に距離を保っている。
その若い世代が、外来文化という「川の流れ」を冷静に眺めながらも、KARAを笑顔で受け入れた。 なぜなのか??
一つ言えるのは、日本人は老若男女問わず、踊れるノリの良さよりも断然、歌詞を求めている。 若者だって阿久悠や松本隆に心臓をえぐられ、痺れるのだ。
渡辺なつみが書く日本語の歌詞は、切ないほど日本文学なのにもかかわらず、KARAの5人はその歌詞と向き合い、正確な発音で、魂を乗せて歌い上げた。 そう、KARAっていうグループは、ただものじゃなかった。 人柄だけで武道館に立つような傭兵とは違い・・・
KARAは「韓流」ではなく、「純真」だったのだ。
KARAが一所懸命、日本の若者にコミュニケーションを求めた結果が、この大ヒットだ。 日本の若者の多くは、KARAの「伝える気」に感応した。 アンチ韓国の若者までもが心を揺さぶられたのだ。 外来文化という川は、決して氾濫してはならない。
いつまでも青いせせらぎを聞きながら・・・これが川のあるべき姿だ。
ところで、4MINUTEは、韓国では凄い芸術性とパワーを持っているのに、日本でコケている。
「どーだ!?韓国はカッコいいだろ??」的な4MINUTE。 それ故に、日本語も聞き取りにくいし、ノリ重視の為か日本語の歌詞も全く洗練されていない。 そのように、外来文化が「氾濫気味」に迫れば、日本の若者はしらけた顔で川から離れていくものだ。 日本の若者は心の奥底で、今でも韓国文化を完全に認めたわけではない。
早い話が、「韓流という広告のパラダイム」は、若者には通用しないのだ。
良く考えれば酷い話だが、「ビルボード上の曲」が、大した広告もなしに英語のままでも売れに売れるのに対し、「KPOP」は過剰なほどの広告に加え、さらに日本語が完全でないと土俵にも立てない・・・ これは一体、どういう事だろうか。
韓流に染まった大人たちは、「若者の米国崇拝だよ」と、簡単に切り捨てるだろが、
今の若者は米国など崇拝していない。
これは米国文化が日本社会、そして日本人に対してインストール済みだからだろう。 インストールされた「常識」や「ルール」等、人間が生きる上でのあらゆる判断材料や価値観・・・。 何の疑いもなく我々は欧米OSで動いている。 そして、それ以外は今も尚、「非対応」のままなのだ。
若者が心の奥底で「韓国を認める事が出来ない」のは、日本が大昔に韓国文化・・・いや、東アジア「文化OS」の停止ボタンを押したことにより、「非対応」のままなっているからだろ。
「非対応」という怪しい世界の中、これまで大人たちから「東アジア差別論」というものを伝え聞いてきた。 さらに悲惨なことに、各メディアがアップデートし続ける「欧米OS」は常に「東アジアOS」とコンフリクトを起こす仕組みになっている。 アジア時代を迎えようとしている現在、日本の若者の前に立ちふさがるエラー連発の障害。
これらの障害は、決して若い世代が望んだものではない。 悲しいことに、若い世代の嫌韓も根本は「非対応エラー」という「拒絶」じゃないか。
韓国主導で韓流なんかが行われる以前に、日本は韓国や中国を正規インストールするべきだったのだ。 そうしていれば、排他的な大人が韓流に寝返るというクソ恥ずかしい姿を見ることもなかっただろうし、最初からもっと自然な心で韓国を眺めることが出来たのではないか?
能動的に「東アジア ヤミOS」をインストールするしかないこの社会は腐ってないか? そして、差別を助長しながら、急に手のひらを返した「ファックな世代」に足を引っ張られ続ける現代・・・。 クソッタレな世の中に、現れた純真の妖精がKARAだったと思おう。
国際広告の戦略では、情報流通のボーダレス化が進むにつれ、国籍ではなく、「世代というセグメント」の中で、価値観は十分に共有できると分析されている。
僕の経験上、この分析は非常に正しいと思うのだ。 我々若い世代は、第一次韓流というアヘンに毒されたような情けない世代とは精神的に決別し、韓国や中国の若者たちと感性で手を結んだ方が、未来に向かってリアルな一歩を踏み出せるのではないだろうかと真剣に考えるのである。