モーツアルトについて語る


モルダウに向かって歩いている。 ここにはボヘミア独立のために生きたもう一人の人間の住んでいた家があり、博物館になっている。 その人の名は、そう、誰もが知っているあの「スメタナ」だ。



スメタナの家では、彼の生い立ちから彼が書いたオペラや楽曲の楽譜が見れる。 ここで「我が祖国」を聞きながら、窓からモルダウを眺めている。 幻のような・・・そう、まさに夢を見ているような気持ちだ。 彼が使っていたピアノがある。 

誰も見ていないのを確認してそーっと触ってみた。 感動だ!! スメタナが触っていたピアノに触ってしまった!!

このまま、時が止まってしまえばいいのにね・・・。



また、当てもなく街を彷徨っている。 プラハに居るだけで幸せなのだ。 なんだろう・・・この街の全てが愛しくてたまらない。 今、スタヴォフスケー劇場の横を歩いている。 プラハに来て2日目・・・ここでアマデウスのレクイエムを聴き、僕は狂ってしまい・・・プラハを彷徨いながら、あげくの果てにカトリックになってしまった。

アマデウス(モーツアルト)には数々の想いがある・・・。 彼の生き方には共感できるのだ。

ドイツのザルツブルク出身のモーツアルトは、仕事先のウィーンで雇い主のドイツの大司教と喧嘩し、そのままウィーンに定住してしまう。 感覚のままに生き、しきたりや権力構造を嫌う彼が、権力社会の中において"素行不良"だったことは有名である。 その性格からか、厳格な神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお膝元であるウィーンでも、彼は雁字搦めにならざるをえなかった。

当時あまりにも自由な発想と、不謙虚さで、ウィーンの宮廷楽界から「下劣」扱いされていたモーツアルト・・・

なぜこんなにも彼が苛められていたかというと、モーツアルトという才能が宮廷楽界にとってあまりにも「出る杭」であった為であろう・・・。 

モーツアルトは当時、ウィーンでは非主流だった「ドイツ語オペラ」という先見性を持ち、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世に影響を与えようとするが、ウィーン宮廷楽界がこれまで守ってきた「オペラはイタリア語」という考えの保守勢力と対立が起きてしまった。 

そこからウィーン宮廷楽界は、モーツアルトが作る権力主義をひっくり返すような内容のオペラに次々と検閲を入れたり、彼の仕事に対する意欲を潰すために監視したり・・・と、ことごとく足枷を着け彼を痛めつけ始めた。 

ウィーンという都は、彼の才能を開花させることのできる寛容な土壌ではなかったのだ。

一方その頃、なんのしがらみも無い、此処プラハでは、彼のオペラ「フィガロの花嫁」が純粋に受け止められ、大ブレイクしていた。 ウィーンのハプスブルクから統治されているボヘミアは、先に何度も書いたとおり、民族独立を目指しており、権力に対する反吐だらけの都であったことは間違いない。 

プラハの観客は、そんなモーツアルトのオペラの内容を、自分らの苦しい境遇に重ね、自分たちのものにした。 

プラハから愛されたモーツアルトは、プラハの民の為、「交響曲第38番(通称プラハ)」を制作し、不動の人気を得ると、今度はプラハからモーツアルトに対し、オペラの制作を依頼されることになる。 そして完成したのが誰もが知るオペラの名作「ドン・ジョヴァンニ」なのだ。
   

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